ファイナルファンタジー
メーカー:スクウェア

もはや説明の必要もなくなってきた感のある人気RPGシリーズ。僕はYしかやったことがないので詳しいことはわからないが、タイトルに「究極の(最後の、という意味ではない)ファンタジー」と銘打ってあるように、ファンタジーを基軸として(最近は近未来的な世界を舞台にしているようだが)、そこで展開されるドラマを体験する、というコンセプトのRPGである。

ファイナルファンタジーのここがすごい!

画像へのこだわり

このシリーズの最大の魅力は、なんと言っても画像=グラフィックの美しさであろう。グラフィックの強化は、Xの頃から顕著になってきており、Yは、スーパーファミコンの限界の表現に達しているのでは、と感じるほどの凝りようである。プレイステーションでZを発売したのも、さらなるグラフィックの美しさを求めた結果のことである(任天堂との確執などの噂もあったが)。FFに限らず、昨今スクウェアの発売したソフトは、いずれも他社の追随を許さないレベルのグラフィックであり、それがスクウェアのシンボルにもなっている。

ハリウッド的お約束満載のゲームシステム

これは言っておかなければならない。今まで家庭用ゲーム機で発売された、RPGと銘打たれたジャンルのゲームは、総じて「シナリオが変わったドラゴンクエスト」である。細部でオリジナリティを出そうという姿勢は各ゲームで見られるのだが、大まかなところでは、シナリオは「剣と魔法のファンタジー」「魔王を倒すための長い旅」「仲間との出会いと別れ」が常に登場し、システム的には「見下ろし型、または俯瞰型のマップ」「コマンド入力による行動」「敵と正面から向かい合った形の戦闘シーン(これは最近FFタイプの「味方と敵の対峙を横から見る形」が多くなってきた)」と、ほとんどドラクエの真似である。悪いとは言いたくないが、あまりにもドラクエをRPGの基本と見過ぎではないだろうか。
そしてFF。ファンの方には認めたくない人もいるだろうが、これもご多分に漏れずドラクエ系RPGだ。しかもこれほどドラクエに近いRPGでありながら、ここまで売り上げを伸ばしてきたのは、FFぐらいだろう。その要因には、美麗なグラフィックで見た目すごそうと思わせる力があり、その上まさに涙しろと言わんばかりに繰り返される「感動的なシナリオ」(あえて鍵括弧をつけた)が、リピーターを増やしていった、というところにあるのではと思う。
僕もYをやって感動した。ラストの決戦の時、悪の親玉に「なぜおまえ達は、いずれこわれゆく文明を築こうととするのだ。無意味だろう」と、ある意味真理を突いた質問を問いかけられた主人公が、「それでも人は生き続ける」などと偽善的なセリフを吐き、納得しない悪の親玉に対し主人公は、社会のゴミは排除するという行動に出る。それじゃあんまりだと思ったのだが、彼らはめでたしめでたしと、浮かれて地上に帰っていく。そして再び感動的ストーリーのオンパレード。ご丁寧にセンチなラブロマンスまでやってくれる。ここまで来ると笑わずにはいられない。前半で展開された深い問題提起は、いまここで一瞬のうちに解決したのだった。もはやプレイヤーの意志など必要ない。これが答えなのだ。疑問なく受け入れることが私たちの義務なのだ。

そろそろFFのようなストーリーを見せつける方式のゲームに「RPG」とジャンル分けするのはやめたらどうか。RPG・ロールプレイングゲームとは、役割(Role)を演じる(Playing)ゲーム(Game)の意味であり、そこではプレイヤーの意志が不可欠な要素になる。しかし昨今のRPGは、プレイヤーの意志など関係なく、用意されたシナリオをたどっていくのが主流だ。それを否定するつもりはないので、せめて名前を新しく作って、本当に役割を演じさせてくれるゲームと区別してほしい。どう考えても、ウィザードリィとFFが同じジャンルに区分けされているのはおかしな話だろう。

他の能書きも一応見てやる
おまえ何かうるさいだまれ